以下の文章は、日経ホーム出版「日経ウーマン(*)」平成10年1月号に掲載された、由利ママのエッセイの元原稿です。編集部のご厚意により、掲載させていただきます。 「由利ママはどうやってライターになったの?」「地方でも仕事ができますか?」「昔はどんな仕事をしていたの?」などのご質問をよくいただきます。 そのお返事の代わりになれば嬉しいです。 |
好きな仕事を一生続けたい。でも、結婚もしたいし、赤ちゃんも産みたい。そして、子供も自分の手で育てたい。これって、欲張りかしら? でも、人生は1度っきり。何かを犠牲にするなんてもったいない。・・・そんな欲張りな私が選んだ自然なワークスタイル、それがSOHOだったのです・・・。 プロローグ「そろそろ結婚しようか」彼がつぶやいた。9年間の長い春。いろんな事があった。わかれた時期もあった。でも、こうしてまた一緒にいる。これが運命なのだろうか。 彼の勤め先は生命保険会社。数年ごとに日本全国を移動する転勤族だ。彼と結婚すれば、私はいずれ今の仕事を辞めなくてはいけない。ようやく責任ある仕事ができるようになったのに・・・。しかし、今断れば、彼とは一生結婚できないかもしれない。私の心は揺らいだ。そして、悩んだあげく1つの結論を出した。 「仕事は日本国中どこにでもある。でも、結婚相手は1人しかいない。」 さよなら、OL時代転勤の嵐は、容赦無かった。結婚式2ヶ月前に、旦那に仙台への転勤辞令。この最初の嵐は、会社の配慮で、私が仙台支店に転勤して乗り切ることができた。しかし、その1年半後。ついに決断のときが来る。赤ちゃんができたのだ。産休や育児休暇を取ることは可能だ。が、また夫に転勤辞令が出れば、会社に迷惑をかける。後ろ髪ひかれつつ、6年半お世話になった会社を去った。私のOLとしての最後の日だった。妊婦の仕事探し私は「無職」になった。無職になって、考えた。どこに転勤しても、赤ちゃんを育てながらでも、できる仕事はないものか。そうだ。ライターになろう。大好きなパソコンに関する記事を書いて、パソコン通信で原稿を送れば住んでいる場所など関係ないわ。退職金を叩いて、パソコンとプリンタを買った。我ながら無謀だった。ライターとしての実績も何もない。会社というバックもない。単なる田舎に住む主婦である。さらに、妊娠9ヶ月というオマケまで付いている。 しかし「妊婦」ほど強いものはない。会社時代の知人や東京の出版社に電話して、履歴書や企画書を送りまくったのだ。その結果、あるパソコン雑誌で連載を書くことが決まった。今思っても、奇跡である。ちなみに、この「連載決定」の電話連絡を受けたのは、産婦人科のベットの上だった。 ライターのお仕事出版社の依頼で原稿を書き、それを編集部に送る。できあがった原稿は、出来上がり1ページいくらで計算される。たとえば1ページ1万円で、5ページの原稿を書けば5万円。10%が源泉徴収されて、手元に入るのは4万円。1ページ書くのに、1時間かかろうが3日かかろうが、同じである。頑張って月に10万円かせいでも、年収は240万円。もちろんポーナスはない。旦那の扶養からも外されて、国民保険や国民年金を払い、子供たちの保育園代を払い、さらには情報収集のための通信費、記事執筆に必要なハードやソフトの購費を考えると、何のために働くのかわからなくなる。 しかし、この仕事は楽しい。原稿の向こうに「読者」がいるからだ。自分の書いた記事や本が、誰かの役にたっているかもしれない、その社会への貢献感がエネルギーの元だ。そして、今日もまた自分の首を絞めるとわかっていて、新しい仕事を入れてしまう。 出産&子育て「子供がいるのに仕事をするのは大変でしょう?」よく言われる。確かに大変だ。しかし、今の仕事は、長女出産と同時にスタートしたようなもの。その後、次女、三女と、仕事を持ちつつ出産した。三女のときなど、産んだ3日後に、病室から携帯電話で原稿を送ったぐらいだ。そんな私だから「子供がいない環境での仕事」の方が想像できない。家で仕事をするには、「時間管理ができ、誘惑に負けない強い意志が必要」と言われる。しかし、私にはそんなものミジンもない、あるとすれば「子供が寝ている間に仕事をしなくちゃ」という強迫観念だけである。 子供が起きたら、仕事はできない。「おかあさん、おしっこ〜」「おかあさん、あそぼ〜」「おかあさん、おなかすいた〜」。それでも強行に仕事をすると、パソコンのリセットスイッチは押すは、CD-ROMは投げ飛ばすは、あげくの果て仕事の電話に勝手に出て「あんた、だれ?」ときたもんだ。華麗なSOHOライフなんて、私には無縁である。 SOHO夫は無関心がいい?!「旦那様の協力があるから仕事ができるのね」これもよく言われる。しかし、これだけは、断固として否定しよう。夫は、どんなに私の仕事が忙しくても手伝ってはくれない。掃除も炊事も全部、私だ。私の仕事に対して「ダメとは言わないけど、協力はしない」が、旦那のモットー。最初はなんて冷たいんだと思ったが、最近は違う。手伝ってくれる旦那だったら、私は「仕事をさせてもらっている」と引け目を感じてしまうだろう。「家事も育児もやってるんだから、仕事してもいいでしょ!」これが私のエネルギー源だ。 北の国へ転勤「転勤や。すまん、今度はちょっと遠いわ。」夫が会社から電話をかけてきた。この10月のことである。結婚以来、「仙台」、「大阪」、「岡山」、そして「名古屋」と移り住んできた。次は5度目。どこに行こうと仕事を続けることができた。電話が通じて、宅配便が届けば、日本国中どこでも大丈夫。だから、転勤自体は驚かない。が、今回ばかりは、行き先を聞いて頭がクラクラした。 北海道の北見市。札幌でもない、旭川でもない、釧路でもない、正直言って場所も知らない、けど、とにかく「北」である。「北の国から」や「ムツゴロウの動物王国」の豪雪シーンが頭をかけめぐった。 しかし、ショック受けている暇はない。普通の仕事なら、引越し=退職。とりあえず仕事を忘れて引越しに専念できるが、SOHOは違う。「引越ししても仕事が続けられる」という事は、「引っ越し中でも仕事がある」という事だ。さらに今回は、5ヶ月の赤ちゃんを含む3人の娘を連れての大移動。どんな状況だったかは、・・・ご想像におまかせする。 お母さんみたいなお母さんそして今、私は北の地にいる。マイナス20度の極寒の冬を目前にしつつ、相変わらずバタバタと育児と家事と原稿の締め切りに追われている。先日、5歳の長女がこんな事を言い出した。 「私ね、お母さんみたいなお母さんになりたい。」 「ありがとっ。でも、お母さんさんみたいなお母さんって、どんなお母さん?」 「あのね・・・おうちで仕事をするお母さん!」 じーんときた。 エピローグ保育園から帰ってくる子どもたちに、手を広げて「お帰り!」と叫ぶ。私の腕の中に、北の冷たい空気で頬を赤くした子供たちの笑顔が溢れる。この仕事を選んで良かった、と思う瞬間である。 |